アダルトチルドレンが母親を殺した話

先日、ある方のセッションを受けていて、久しぶりに母親との関係について思いを馳せました。

私の母はゴリゴリのスパルタ教育ママでした。
毎日ピアノや硬筆の練習を強要し、いつも私の背後にイライラと立っていて、私が間違えると「違う!!」と怒鳴りながら私の手をはたくような人でした。

そんな環境で育った私は、大人になって生きづらさに悩むようになり、それを解決するべくいろいろな情報を集めました。

アダルトチルドレン、インナーチャイルド、毒親…。
そんな用語にたどり着き、私のこの苦しみは、お母さんが原因だったのかと憤りました。

でも学びを深めるうちに、「アダルトチルドレンだから」という考えが、自分の足かせになることを知りました。

私はアダルトチルドレンだから、これができない、あんなことをやってしまう…。

そうやって、「自分にはアダルトチルドレンという問題があるのだ」とフォーカスすることで、「だからやっぱり子供にこんな態度を取ってしまう」、「だからやっぱり他人からこんな扱いを受ける」などと、証拠を集めてしまうのです。

そうこうしているうちに、「母親を許せないと幸せになれない」とか、「母親との関係が今の人生に影響する」といった情報も目にするようになってきました。

そして私は、母親との問題を解決することを辞め、今の幸せな感覚にフォーカスするようになっていきました。

だけどもしかしたら私は無意識のうちに、母親へのネガティブな感情に蓋をして、母親を好きになれない自分を否定して、母親を好きになるようにと自分を仕向けていたのかもしれません。

先日のセッションをきっかけに、私の中で母親への憎しみが爆発しました。
死んで欲しいと思いました。

そこで私は、心の中で、母親を殺しました。

「お母さん、やっと死んだ。まだあの実家で生きてるような気がするけど、もうこの世にいないんだ。。」
そう思うと、心がふぅっと軽くなり、穏やかな気持ちが沸いてきました。

「ああこれで、みんなが解放された。幸せになった。
何より私が幸せだ。」と。

「母親を好きになれないと幸せになれない」とか、「母親との関係が今の人生に影響する」とか、そんなの余計な知識です。私の外側のものです。

今、私は母親が嫌い。
それが私の内側の正直な感覚だから、それでいいんです。

それを認める時、心が清々しく、軽やかになるから。


「こんな時、潜在意識の達人さんならどんな風にするんだろう?」なんて正解を探したり、「自分は間違っているんじゃないか?」と不安になったりする必要はありません。

今の自分の感覚が正解です。

そう認めた時に感じるやわらかく幸せで安心した気持ちこそ、私が母親との問題を解決した先に求めていたものであり、それは今すぐに手に入るものだったのです。

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