前回、「春は別れの季節…」とブログを書いたら、人事異動で、職場の上司が異動になった。
ほんとに優しい方で、仕事の遅い私をいつもフォローしてくれた。
いてくれることがすっかり当たり前になっていたけど、この人の下で働けて、つくづく私は恵まれてた。
これまで、「職場の人とうまくしゃべれない」とか「仕事ができなくて恥ずかしい」とかそんなことばかり、不足にばかり焦点を合わせてたんだけど、優しい上司を失って初めて気づいた。
私は十分に恵まれてた。満たされてた。
それほど恵まれてたのに、勝手な思い込みで生んだ不足(誰も私に「しゃべれなくてダメな奴だ」とか「仕事できなくてダメだね」とか言ってない。私がそう思い込んでただけ。)に焦点合わせて、悲しんだり苦しんだりしてたなんて、なんてもったいない。
ということは。
今も私はきっと満たされてる。
美しいものを見れて、音を聞けて、おいしいものを味わえて、気持ちよさを感じられる身体がある。
思い立ってすぐ外食に行けるお金がある。車がある。
親が元気でいてくれてて介護の心配もない。
優しい旦那さんや面白くて可愛い子供たちがいる。
義両親と同居しなくていい。
安定収入がある。
快適な家がある。
そんなの当たり前ってなってるけど、もし失ったらすごく悲しい。
私にとっての当たり前が、ない場合だってあるはず。
それを今回の異動で思い知った。
そう考えると、すごくすごく、私は幸せなんだ。満たされてるんだ。
その膨大な充足の中の、上司がいなくなったという一点だけに目をこらして、悲しんで不安になっているだけなんだ。
何百億何千億の事象がこの世にはあって、何か考えてるときはその中のたったひとつにフォーカスしてるだけ。
何かをなくした時、それは「ああ、あることは当たり前じゃなかったんだ」と、その他の膨大な「ある」に気づくチャンス。
顔を上げてみよう。幸せを味わおう。